1987年に来馬され、日本企業の親睦団体である「シャアラム三水会」の発展、また中小企業の親睦団体「一華開」の設立に尽力された上田鍍金の現地法人、ウエダ・プレーティング・マレーシア顧問の青木弘さん。昨年9月には、日本とマレーシアとの経済関係促進に大きく貢献されたということで外務大臣表彰を受けた。33年の長い在マレーシア歴を誇る青木さんにお話を伺った。

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「一華開」を設立、「中小企業を強く」

—青木さんが来られた33年前と比べるとマレーシアは随分変わったでしょうね?

青木:私が来た時にはまだマラヤ共産党(MCP)がゲリラ活動をしており、ちょっと山の中に行くと軍が守っているような状態でした。そういうこともあってか10人以上集まっての会議はいけないと言われていましたね。外国企業ということで特に厳しい取締りはなかったし特に目をつけられるというようなことはなかったのですが、大人数で集まる時は届けないといけないと言われていました。会社のあるセランゴール州シャアラムも当時はジャングルがあちこちにあるような状態でした。

——青木さんが設立に関わり今でも会長を務めておられる「一華開」について。

青木:日系中小企業の経営者が集まって勉強会を開催し、中小企業の会社を強くしようの主旨で1997年に設立しました。その頃はアジア通貨危機などいろいろなことがありましたが、立場の弱い中小企業は何かあればすぐにコケてしまう。最初は4社ぐらいではじめましたが、募集していませんが希望者が増え、今では30社ぐらいになりました。

——「一華開」という名称について。

青木:日本企業の親睦団体としては「三水会」や「一水会」がすでにあったのですが、単純に”一”に”火曜日の会”では面白くないというのでこの字にしました。先ごろ頂いた外務大臣表彰の際に「一華開」という会の名前を宮川真喜雄前大使にお話ししたところ、すごい言葉ですねと褒められました。

※注

「一華開」の会合は累計で272回ほどになります。最初は日本貿易振興機構(ジェトロ)クアラルンプール事務所の方に講演をお願いしていたのですが、向こうの方から勉強になるからといって会員になって頂きました。



——最近はどのような活動をされていますか?

青木:中小企業の中間管理職の人たちを育成をしなければならない、各社から社員を数名出してもらって毎月1日、5カ月間にわたって会員企業の工場で研修を行なっています。外部から講師をよんで中間管理職はどうあるべきか、部下をどうやって指導していくべきか利益を出すにはどうすべきかなどを指導しています。10数年前は5Sや改善を日本から指導者に来て貰っていました、今回は約20人ぐらいが参加しています。どこの会社でも困っているのは社員の教育です。いかにマレーシア人を教育して育ってもらうかということが課題ですね。

——「一華開」のいいところは?

青木:「一華開」がなぜ長続きするかというと、みんな集まって顔と顔を合わせて意見を言い合い情報交換をするところですね。マイクを通じて話をするとなかなか皆なしゃべらない。組織の大きさもあるかも知れませんが、大きな組織は皆に意見を出させるための工夫が必要でしょう。

三水会の発展にも寄与

——「一華開」設立の前には「シャアラム三水会」の発展に寄与されました。

青木:「シャアラム三水会」は1989年、セランゴール州シャアラムにある日系製造企業が集まって始まりました。当時は情報が少ないので、給与額や社内規定をどうしたらいいのかといった情報交換をやっていました。当初はそれぞれの会社に集まってやっていました。だんだんシャアラムの会社が多くなって「三水会」という形になりました。今では70社ぐらいになりました。

三水会の会員はみな大きい会社なので、人が3年5年で入れ替わります。人が入れ替わるということは自分の会社外との繋がりが断たれてしまいます。私は長くいるので「道案内」だと思ってやっています。

——当時のシャアラムはどうだったのですか?

青木:会社は金属メッキを行なっていますが、進出した当時のシャアラムはジャングルだらけで、車もあまり通らない場所でした。そのうちに工場が集まってくると道路は渋滞するようになるし、信号もないので危ない。水道も電気も止まるようになりました。それで三水会がシャアラム市政府などに道路を広げて欲しいとか、信号を付けて欲しいとか様々なインフラ改善を申し入れを行い、実現に繋げてきました。

——政府との関係強化により、インフラ改善の陳情などで尽力されました訳ですね。

青木:今回の新型コロナウイルス「Covid-19」感染拡大防止のために発令された行動制限令(MCO)が緩和された際に、フル操業再開にノーと言ったシャアラム市政府との間に立ってくれたのがインベスト・セランゴール公社(ISB)です。三水会は以前からISBとは毎年やりとりしていたんで、50%の稼動では困るということをISBからシャアラム市政府の方に言ってもらって制限を解除してもらいました。

稼動50%でもダメ

——その新型コロナですが、御社への影響はどれぐらいあったのですか?

青木:コロナの売り上げへの影響は8割ぐらいでおさまりました。3〜5月は赤字になりましたが、受注残があってそれを作っているので6月は一気に回復しました。MCOの最初の段階は稼動できませんでしたが、医療関連の顧客からの依頼で第2段階から稼働率50%で再開しました。回復度合いは製品によって異なり、自動車向け生産はまだ回復していませんね。

——稼動時間を制限されると困る?

青木:金属部品をメッキ処理する前に850℃まで温度を上げて熱処理をするんです。これを焼鈍といいます。いったん温度を上げたものを下げ、また上げたりしなければならない。いったん機械を停めると経費もかかるし、温度を急に落とせば伸びたり縮んだりして設備がおかしくなってしまいます。いまだにダメなものもあります。半導体とか弊社のような熱処理の会社などは50%稼動だとダメなんです。

——MCOで移動が禁止となり、必需品・サービス以外は出社禁止となって給料支払いを巡ってひと騒動ありましたよね。

青木:通産省は最初、給料はオンラインで払えばいいと言っていました。しかし個人のパソコンにはそのようなデータや仕組みを入れている会社はありません。最後には分かってくれましたが、その辺りの現場のことがあまりよく分かっていないのかなと感じました。

——製造業はまだしも回復の兆しが見えていますが、観光産業などは先行きが見えません。

青木:今回のコロナでは、進出間もない体力のない中小企業がより大きな打撃を受け、家賃だ人件費だと資金繰りに窮しています。お金がないのかもしれませんがマレーシア政府には投資誘致より中小企業の支援をして頂きたいです。一方、日本政府に関しても、海外に進出している日系企業の支援をやって貰いたいです。観光をはじめサービス業は海外進出が増えています。せっかく海外に進出している企業が撤退しないように考えて欲しいですね。
※編集部注・「一華開五葉」は禅の創始者・達磨大師の詩の一部で「一輪の花が五葉の花びらを開きやがて果実が実る」を意味する。