【総点検・マレーシア経済】第524回  経済複雑性指数(ECI)、その意味は?

第524回  経済複雑性指数(ECI)、その意味は?

6月24日、経済複雑性指数を提唱したヒダルゴ教授が興味深い論文をX(旧Twitter)に投稿していました。「経済的複雑性指数(economic complexity index: ECI)」は1国の輸出がいかに「複雑性が高い=高度」なものであるかを計算する指数で、マレーシアでは「新産業マスタープラン(NIMP2030)」の中で、「高い経済的複雑性を持った競争力のある産業」という目標として掲げられています。

経済的複雑性が高い国とは、1)多様な財を輸出している、2)輸出している財を生産できる国が限られている、3)同様の財を輸出している国の経済的複雑性もまた高い、という特徴を持つ国です。この指数が高い国は経済成長に有利であることなどが経験的に知られていましたが、ECIは経済学の概念と言うよりは物理学の概念に近く、なぜそうなのかという点については分かっていませんでした。

ヒダルゴ教授が紹介した「経済複雑性の理論(The Theory of Economic Complexity)」という論文では、ECIが実際に「その国がどれだけ多くの生産のための能力を持っているか」を正確に測定していることを数学的に証明しました。つまり、ECIが何を計測しているのかを突き詰めると、それは、半導体技術、材料科学、ソフトウェア開発力など、その国がどのような種類の能力を高い水準で持っている確率が高いのか、ということになると示したのです。

また、この論文では、経済の複雑性≒多様性であり、後進国:低多様性(農業・資源のみ)→中進国:高多様性(様々な産業に参入)→先進国:特化(最も得意な高複雑性製品に集中)、というようなパターンで経済が発展することを予測しています。必ずしも多様な財を輸出していないスイス、シンガポール、フィンランドなどの小規模な国が高いECIを持ち、高所得国であることと整合的です。 マレーシアのような人口規模が大きくない国にとって、この予測は希望が持てるものです。

図は1998年から2023年のマレーシアのECIと世界ランクの推移を示したものです。マレーシアのECIは2000年代に入って世界平均の0を超えて順調に上昇しましたが、2010年代に入ると1前後で停滞しています。同時に、世界ランクも50位前後から20位台に上昇しましたが、その後は横ばいとなっています。

2023年のマレーシアのECIは1.04で世界27位ですが、これが1.23まで上昇するとベルギーと並んで世界20位となります。マレーシアとしては、まずはこのTOP20入りを果たしたいところです。

 

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

【総点検・マレーシア経済】第523回  7月1日より売上・サービス税の課税品目拡大、紆余曲折を振り返る

第523回:7月1日より売上・サービス税の課税品目拡大、紆余曲折を振り返る

 

7月1日より売上税(Sales Tax)とサービス税(Service Tax)、いわゆるSSTの課税品目の拡大が行われます。これは、昨年秋の2025年予算の段階で予告されており、また当初5月1日より導入される予定が、業界の反対に実施が延期されていたものです。

 

マレーシアの税制は過去10年間で大きく変遷してきました。2015年4月にナジブ政権がSSTに代わって6%の物品・サービス税(GST)を導入しましたが、これが物価上昇への国民の不満を招きました。2018年、マハティール政権はGST廃止を公約に掲げて勝利し、同年9月にSSTを復活させました。この政策転換により、非課税品目が5,443品目に拡大され、国民負担は軽減されたものの、政府は年間220億リンギという大幅な減収に直面しました。

 

その後、財政再建への要請からGSTを復活させる提言が各所から出され、2024年の予算文書には「SSTよりGSTが優れている」という記事が掲載されたこともありました。しかし、アンワル首相は最低賃金が3000〜4000リンギになるまで、つまり、おそらくはあと10年程度はGSTを復活させることはないと明言しています。

 

そうはいっても財政は苦しいわけで、代替案としてSSTの税率引き上げ・課税対象品目の拡大が行われてきています。2024年にはサービス税が6%から8%に引き上げられました。ただ、飲食や通信、物流サービスなどの税率は6%のままとなっていました。

 

今回のSSTの課税品目拡大は図のようなものです。売上税は一部の「任意購入・非必需品(discretionary and non-essential goods)」について5%、10%の税率で新規に課税が行われ、サービス税については6つの新分野について新たに課税が行われることになりました。

2025年予算を読み返すと、売上税は194億リンギ(24年)→208億リンギ(25年)に、サービス税は215億リンギから260億リンギへの増収が見込まれています。売上税分が14億リンギ、サービス税分が45億リンギの増収見込みなので、サービス税の引き上げの方が3倍程度影響が大きいことが想定されています。

 

こうした方向性は、アンワル首相が就任当初から繰り返している「選択的補助金(Targeted Subsidy)」政策と整合的です。要するに、所得上位階層には補助金を与えず、逆に所得上位階層から税金を取る、ということになります。図にあるように、マレーシアが国として振興している教育サービスや外国人向けの民間医療についても増税となるため、産業政策的にはマイナスになりますが、そうであっても財政再建が重要、というスタンスであると捉えることができます。

 

世界経済が不安定で原油価格も軟調な中、2027年後半には総選挙が見込まれるため、アンワル政権は早いうちに補助金改革と税制改革を済ませたいと考えているはずです。それらが2025年で打ち止めになるのか、26年も続くのかは景気次第ともいえるでしょう。

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

【総点検・マレーシア経済】第522回  マレーシアへの中国からの輸入が急増?

第522回  マレーシアへの中国からの輸入が急増?

5月20日に発表された貿易統計によると、マレーシアの2025年4月の中国からの輸入は前年同月比20.6%増の298億リンギとなり、国別では2位の米国(185億リンギ)に大差を付けて輸入先の1位となっています。5月27日付の日本経済新聞電子版では、「東南ア、中国から輸入2割増——米関税で受け皿に 低価格品、日系企業に脅威」というタイトルで、トランプ関税により対米輸出が困難になった中国から、マレーシアを含めた東南アジアへの輸出が急増している、という記事が掲載されています。

直感的には、最大の輸出先を失った中国企業が安値で東南アジア市場に輸出攻勢を掛けるというシナリオはありうるように思われます。そこで、2025年4月のマレーシアの中国からの輸入をHSコード4桁レベルで整理し、輸出額が前年同月比で増加した上位10品目を示したものが表1となります。

 

4月に中国からの輸入が最も増えた品目はHSコード8471の「コンピュータ・データ処理機器」です。ただ、さらにHSコード10桁まで調べていくと、輸入が増加しているのはPCではなく、サーバー類であることが分かります。サーバー類の輸入は前年同月比で9倍に増加しています。

 

次に輸入が増えているのはHSコード8517「電話機・通信機器」です。これもより詳しく見ていくと、最も増えているのはルーターなどのネットワーク機器で前年同月比2.9倍、続いてスマートフォンで前年同月比34%増となっています。3番目に増えているのはHSコード8703「乗用車」で、細かくみていくとEVが前年同月比3倍増となっています。4位以下は、ほぼ全てが工作機械や電子部品などで、消費者向けの商品はありません。

 

このように見てくると、4月の段階でマレーシア向けの輸出が増えているもののうち、消費者向けの商品といえるのはEVとスマートフォンですが、その貢献分はそれほど大きくありません。むしろ、大幅に増えているのはサーバーやルーター、産業機械、電子部品などで、これは「米国市場の失った中国の消費財が東南アジアに流れ込む」というストーリーとは合致しません。

 

トランプ関税が二転三転している上に、その影響は時間差を持って出てくるので、あくまで4月時点では、という但し書きが付きますが、中国からマレーシアに輸出が急増しているのは主にデータセンター関連と工作機械、電子部品で、昨今のデータセンターブームと「迂回生産」が原因であると見ることが出来ます。ちなみに、4月のマレーシアの米国からの輸入は前年同月比111.8%増というとんでもないことになっており、これはやはりサーバー類の輸入が前年同月比で約600倍(!)になった影響です。米国からAI半導体の輸出に制約がかかる前に輸入しておこう、ということなのかもしれません。マレーシアのデータセンターブームは、貿易統計に大きな影響を与えるレベルになっており、ちょっと過熱しすぎでは、と心配に思うぐらいになっています。

 

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

【総点検・マレーシア経済】第521回  3月の対米輸出の激増、何が増えた?

第521回:3月の対米輸出の激増、何が増えた?

 

マレーシアの3月の対米輸出は、前年同期比で50.8%と急増しました。これは、輸出先の上位3ヵ国である中国が1.3%減、シンガポールが9.7%増であるのと比べて突出しており、トランプ関税前の駆け込み輸出が起こったとみるのが妥当でしょう。

表1はマレーシアの3月の対米輸出額上位10品目を見たものです。輸出額がもっとも多いのはCPUなどが含まれる「電子集積回路」で前年同月比85.4%増となっています。輸出額の2位はコンピュータ全般が含まれる「自動データ処理機械」で、前年同期比約12倍と大幅な伸びを示しています。その他の上位品目も軒並み2桁〜3桁の増加を示しており、例外的にローテクの半導体デバイスとプリンターなどが大幅に減少しています。

対米輸出が前年同月比12倍増になっているHSコード8471「自動データ処理機械」の内訳をより詳しく見ると、HSコード8471.50の輸出が前年同期比21倍増になっています。品目名は「自動データ処理機械及びこれを構成するユニット並びに磁気式又は光学式の読取機、符号化したデータを記録媒体に転記する機械及びこのようなデータを処理する機械…」と続く長いものですが、要するにノートPCでもデスクトップPCでもないコンピュータ、という理解が出来ます。サーバーなどはこのカテゴリに入りますが、マレーシアから米国へのサーバーの輸出が激増している、というのは少し違和感があります。

そこで、表2は2025年3月の米国側のデータから、マレーシアからの輸入額上位10品目をみたものです。輸入額の1位はHTSコード(HSコードの米国版)8542「電子集積回路」でマレーシアの1位と同じ、金額もマレーシア側の輸出額に対して1.1倍と整合性があります。ところが、マレーシアから輸出が急増しているHSコード8471については、米国側の輸入では15位で、金額もマレーシア側の輸出額の1/10程度しか計上されていません。輸出入のタイムラグがあるといっても、これでは差が大きすぎます。

考えられるのは輸出入でHSコードが変わっているケースです。疑わしいのは米国側の輸入額3位のHTSコード8473「コンピュータ部品・付属品」で、マレーシア側の輸出額の3.2倍が計上されています。さらに内訳を見ると、HTS8473.30が多くを占め、これはコンピュータ等に利用されるプリント基板(PCB)、ということになります。CPU などが載ったPCBが、マレーシア側ではキーボードや画面のないPCとして分類され、米国側ではPCの部品として分類されてもおかしくはありません。

これで、概ね謎が解けた気がします。2025年3月にマレーシアから米国に輸出が急増したのは、コンピュータ等に利用されるPCBである可能性が高いと考えられます。マレーシアは世界でも有数のPCBの生産・輸出国であり、トランプ関税を目前に、PCをはじめとする様々な電子機器の中核的な部品として利用されるPCBが駆け込みで大量に輸出された、と解釈するのが自然であると考えられます。

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

【総点検・マレーシア経済】第520回 マレーシアの2025年の経済成長率はどうなるのか

第520回:マレーシアの2025年の経済成長率はどうなるのか

4月24日、IMFは世界経済見通しの中で、マレーシアの2025年の経済成長率の予測を4.7%から4.1%に下方修正しました。4月25日、世界銀行もマレーシアの2025年の経済成長率予測を4.5%から3.9%に下方修正しています。マレーシア政府は現時点で2025年の経済成長率を4.5%〜5.5%としていますが、こうした発表を受けて、バンク・ネガラのアブドゥル・ラシード総裁は見通しを下方修正する可能性に言及しています。

これに先立つ4月18日、統計局はマレーシアの2025年第1四半期の経済成長率の事前予測値を前年同期比4.4%と発表しました。これは、前四半期の5.0%から大きく減速しています。セクター別に見ると、2024年は通年で17.5%と高い伸びを見せた建設業が前四半期の20.7%から14.5%にまで減速し、製造業は4.4%から4.2%に、サービス業は5.5%から5.2%に、鉱業は-0.9%から-4.9%にまで落ち込んでいます。

図1はマレーシアの四半期別GDPの推移を過去2年間についてみたものです。マレーシアの四半期GDPには強い季節性があり、例年、年末に向けてGDPが伸びていく傾向があります。つまり、マレーシアの経済成長率が通年で前年並みを達成するには、下半期にかけて経済が順調に拡大することが前提となります。

しかし、現在の世界情勢は先を見通せない状況です。特に、トランプ政権の関税政策が不透明で世界貿易に大きな影響を与えています。図2はマレーシアの主米国向けの輸出額の推移を月次で見たものです。昨年末からトランプ政権の関税政策を見越した前倒し輸出により、輸出が大きく伸びましたが、2025年3月は前年同期比50.8%増とそれが極限に達しています。どこかの時点で大きな反動が来ることが予想され、それに対応して製造業のGDPの伸び率が低下することが見込まれます。

原油価格の低下も懸念材料です。年初は1バレル=80ドル近辺だった原油価格(ブレント)は、直近で60ドルを割り込みました。鉱業部門のGDPが落ち込むことが懸念されると共に、ペトロナスからの分配金の減少により、政府支出にも影響がでることが考えられます。

こうした状況を踏まえると、現状ではマレーシアのGDP成長率が政府予測の4.5%〜5.5%に収まる可能性は低いと言えます。すべてはトランプ政権の関税政策次第とも言えますが、政府の経済成長率の下方修正は避けられないと筆者は考えられます。

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

【総点検・マレーシア経済】第519回 マレーシアに対する米国の相互関税率は24%、しかし1年違えば…

第519回:マレーシアに対する米国の相互関税率は24%、しかし1年違えば…

 

4月7日、ザフルル投資貿易産業大臣はマレーシアが米国製品に課している関税率は平均5.6%であり、米国側が主張する47%ではないと述べました。この47%という数字は、4月2日にトランプ大統領がホワイトハウスで発表した各国に対する相互関税率の根拠とされるものです。結果として、マレーシアに対する相互関税率は米国側の「厚意」により、47%の半分である24%と設定されました(4月9日には実施が3カ月延期と発表)。

米国が示した各国の対米関税率は、実際の関税だけでなく非関税障壁や各国の経済状況を考慮したものとされています。しかし、各メディアが報じているように、実態は2024年の米国の対各国貿易赤字額を各国からの輸入額で割った単純な計算式です。一応の理論的背景はあるものの、結果ありきでこの計算方法が選ばれた印象は否めません。

米国国際貿易委員会(USITC)のデータを米国側の計算式に当てはめると、図1のようになります。2024年の米国のマレーシアからの輸入額は525.3億ドル、対マレーシア貿易赤字は248.3億ドル。後者を前者で割ると47%となり、これに半額割引を適用してマレーシアへの相互関税率24%が導き出されています。

相互関税を決める基準年が2024年だったことは、マレーシアにとって幸運でした。マレーシア側のデータによれば、2024年の対米輸出は23.2%増加したのに対し、輸入は42.1%も増加しており、対米貿易黒字(米国から見た赤字)が縮小していたからです。USITCのデータによると、2023年の米国のマレーシアからの輸入額は461.9億ドル、対マレーシア貿易赤字は268.3億ドルでした。上記と同じ計算をするとマレーシアの関税率は58%となり、50%割引適用後の相互関税率は29%になります。わずか1年の違いでマレーシアは5%ポイント低い相互関税率で済んだことになります。

ザフルル大臣は、マレーシアの米国向け輸出の60%が電子・電機製品であり、関税対象外となる半導体はその半分(対米輸出の30%)を占めると説明しました。しかし、残りの70%は相互関税の対象となるため、半導体が除外されてもマレーシアへの影響は大きいと見られています。

今後、この相互関税が実際に実施されるのか、またマレーシア側が米国に対してどのような働きかけを行うのかが注目されます。

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【総点検・マレーシア経済】第518回 マレーシアの投資の状況

第518回 マレーシアの投資の状況

3月25日、バンク・ネガラは2024年の経済・金融レビューを発表しました。これは年間の経済・金融システムの総まとめであり、バンク・ネガラが重要視するテーマについての分析も掲載されています。

その中から、今回は「マレーシアの投資サイクルの謎を解く」という記事を紹介します。近年のマレーシア経済は内需主導から投資牽引型へと変化しています。記事によると、マレーシアの投資は他のASEAN諸国と比べて長く低調でしたが、2023年後半から明らかな上昇トレンドに入りました。

マレーシアには過去に2度の投資上昇局面がありました。1度目は1980年代後半から1997年のアジア通貨危機までで、外資系製造業とインフラ建設が中心でした。2度目は2011年から2015年で、石油・ガス部門と不動産投資が主導しました。

現在の第3の投資上昇局面には3つの特徴があります:

  1. サービス部門の成長と製造業投資の拡大:今回はサービス業が68%、製造業が20%と比率が高まっています。製造業では電子・電機、光学製品、輸送機器の投資が拡大しています。
  1. 機械・設備投資の増加とインフラ開発の継続:労働者一人当たりの機械・設備投資は7.3万リンギから8.3万リンギまで増加し、産業高度化や生産性向上に貢献しています。また、交通インフラと環境関連投資も拡大しています。
  1. 民間部門投資の増加:民間投資の比率は77%に上昇し、投資認可額における外国直接投資の比率も45%に達しています。

バンク・ネガラは、投資プロジェクトのスムーズな実施による現在の上昇サイクルの維持と、投資の高度化やサプライチェーンのローカル化を通じた便益最大化を提言しています。

製造業とインフラ投資の活発化は1990年代の高成長期を彷彿とさせますが、当時と異なり輸出の大幅な伸びは見込めず、民間消費も落ち着いているため高度成長の再現は難しいでしょう。しかし、世界経済が不安定な中、こうした生産的な投資が経済を牽引し、マレーシアが今回の投資上昇サイクルの間に高所得国入りを達成できれば理想的であると筆者は考えます。

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

【総点検・マレーシア経済】第517回 NVIDIAのチップを巡る疑惑について

第517回:NVIDIAのチップを巡る疑惑について

2月27日、シンガポールでNVIDIAの高性能GPUを不正に輸出した疑惑で3人が起訴されました。これは、前日にシンガポール警察が22か所を急襲し、9人を逮捕、関連文書と電子記録を押収したことを受けたものです。

今回の問題は、今年1月に発生した「DeepSeekショック」に端を発しています。中国のAIベンチャー企業DeepSeekが、従来AIの学習に必要とされていたコストの約10分の1で、ChatGPTなど米国の最先端AIに匹敵する性能のAIを発表したのです。高性能GPUの輸入規制下にある中国企業がこのような高性能AIを発表したことで、高性能AI開発に不可欠なGPUをほぼ独占的に開発・販売しているNVIDIAの株価が大幅に下落し、株式市場に動揺が広がりました。

一方で、米国商務省は、DeepSeekが米国のAI半導体規制を回避してNVIDIAの高性能GPUを大量に入手しているのではないかという疑惑を抱き、捜査を開始しました。その過程で浮上したのが今回のシンガポールの事案です。さらに、シンガポールからマレーシアを経由してAI半導体が中国に輸出されていた可能性も報じられています。

3月4日、ザフルル通産大臣はシンガポール当局と共同でNVIDIAチップの不正輸出について調査を進めており、不正行為が確認された企業に対しては厳正な措置を講じると表明しました。

マレーシアは現在、データセンター建設の一大ブームを迎えています。過去2年間で990億リンギ(約217億米ドル)のデータセンター投資が発表され、さらに1,490億リンギの追加投資が計画されています。Amazonは2038年までに292億リンギの投資を表明し、GoogleやMicrosoftもそれぞれ20億米ドル以上の投資を計画していると報じられています。

また、マレーシア政府はAI分野に積極的に取り組む方針です。3月5日、アンワル首相は有力な半導体IP企業であるARM社との合意により、マレーシアがAIチップの設計、製造、テスト、組み立てを行い、グローバル市場への販売を実現すると発表しました。

こうしたマレーシアの野心的な計画にとって、今回の高性能GPUの対中国不正輸出疑惑は重大な障害となりかねません。米国政府は2022年10月にNVIDIAの高性能GPUの対中輸出規制を発表して以来、段階的に規制を強化してきました。今年1月13日には、米国政府は世界各国へのGPU輸出に上限を設ける新たな規制方針を打ち出しました。この規制が実施されれば、マレーシアは「Tier 2」と呼ばれるグループに分類され、年間5万台という厳しいGPU輸入上限が課されることになります。これはマレーシアにおけるAIデータセンター建設計画の大きな障壁となる可能性があります。

上記の規制が実際に実施されるかはまだ決定していませんが、このような重要な時期に中国への高性能GPUの不正輸出の中継地としての疑惑を持たれることは、マレーシア政府としては何としても回避したいところでしょう。今後の展開に注目が集まります。

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【総点検・マレーシア経済】第516回 ペトロナスは大丈夫か

第516回:ペトロナスは大丈夫か

2月25日、国有石油会社ペトロナスは2024年の決算を発表しました。売上高は3200億リンギ(前年比7%減)、税引き後利益は551億リンギ(同31.7%減)となりました。2月7日にはムハンマド・タウフィクCEOが今年後半に人員整理を行うと発表、「これはペトロナスの今後数十年の生存を確保するためのもので、今やらなければ、10年後にはペトロナスは存在しなくなる」と強い危機感を表明しました。

ペトロナスの減益については原油・天然ガス価格の下落が一因とも報じられていますが、前年の2023年は繰延税金資産があったために納税額が低く抑えられていたことも影響しています。もし、今年の納税額が昨年並みであれば税引き後利益は650億リンギ程度で約20%の減益にとどまります。

筆者は現在の業績が、直ちにペトロナスの経営に影響を与えるような悪いものであるとは思いません。一方で、より長期的な懸念材料としては、ペトロナスのサラワク州での権益が揺らいでいる点です。直近では、アンワル首相がサラワク州の全額出資子会社である石油会社ペトロス(Petros)がペトロナスに代わり、同州内でのガスアグリゲーター、つまり生産者からガスを購入し、消費者に販売する役割を与えることを認めました。

サラワク州が自州内の資源について主張を一段と強めたのはナジブ政権下の2017年で、2018年の総選挙での劣勢が予想されていたナジブ首相は、連立与党内で重要なシェアを占めるサラワク州の政党からの支持を固めるため、同州が主張していた州内での資源権益について容認する立場を取りました。これと連動して、サラワク州政府はPetrosを設立、現在まで続くペトロナスとサラワク州の権益を巡る確執が生まれます。

2020年5月には、ペトロナスとサラワク州政府は2019年分の石油製品についての販売税20億リンギを支払うことで合意しました。しかし、この直後、販売税の支払いに抵抗していたペトロナスのワン・ズルキフリCEO(当時)は任期満了を待たずに辞任しました。

1974年石油開発法(PDA1974)は、ペトロナスにマレーシアの領土・領海内の従来型及び非従来型の石油及び炭化水素資源に関する全所有権及び開発・商業化等に関する排他的権利を与えています。加えて、PDA1974は、ペトロナスを石油探索・開発・生産の契約を付与できる唯一の主体と指定しています。

PDA1974による石油・ガス資源に対する独占的かつ強い権限は、ペトロナスのこれまでの商業的成功の大きな要因であり、存立基盤であったと言えます。しかし、マレー半島での政治状況が流動化することで、サバ・サラワク両州の議席の価値が高まり、ナジブ政権末期から現在まで、特にサラワク州に対して石油・ガス資源に関連する独自の権限を認める方向で事態は推移してきました。マレーシアの天然ガスの約60%を埋蔵し、LNG輸出の9割を担うサラワク州の側からすれば、そもそも州の石油・ガスに関する権限は憲法をはじめいくつかの法律で認められているということになりますが、これはマレーシアという国にとって非常にセンシティブな問題です。

連邦と州の間の石油・ガス収入の分配を巡る問題は、これまで何度も繰り返されてきましたが、連邦政府の力が州政府に対して相対的に強い間は、ペトロナスの権限は守られてきました。しかし、昨今の政治状況では、石油・ガス権益が政治的な「飴」としてなし崩し的に州政府に分配される恐れがあります。

筆者は各州の政府が自州の資源開発から正当な配当を得る権利は否定しません。しかし、資源の根源的な所有権・開発権を各州政府に認めることは、これまで国の資源を非常に良くマネージし、世界的な大企業へと成長したペトロナスの存立基盤を揺るがすことになります。ペトロナスの国際的な信用を守る上でも、ステークホルダー全員が合意するかたちで、長期的に安定した石油・ガス収入分配の仕組みを再構築する時期に来ていると思われます。

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【総点検・マレーシア経済】第515回 2024年のマレーシアの貿易はどう変化したか:輸入編

第515回 2024年のマレーシアの貿易はどう変化したか:輸入編

マレーシアの2024年の輸入は前年比13.2%増の1兆3708億リンギとなり、前年の6.4%減から増加に転じました。今回は、マレーシアの2024年の米中向けの輸入がどのように変化したのかを品目別に分析していきます。

表1,表2はそれぞれ2024年のマレーシアの対米国、対中国の輸入額を上位10品目を前年との比較でみたものです。2024年のマレーシアの対米輸入額は前年比42.1%と大幅増加し、国別では中国、シンガポールに続く3位となりました。

品目別に見ると、2位の「コンピュータ・同部品」が約11倍、3位の「半導体製造装置」が2.7倍になっていることが分かります。コンピュータ・同部品についてより詳しい品目を確認すると、CPU/GPUを含む項目が約2倍に増加しており、さらにサーバー本体が12.5倍、ネットワークやインターフェイス関連のボードが57倍と大幅に増加していることが分かります。これは、マレーシアにおける昨今のデータセンター建設ラッシュが影響しているものと考えられます。

4位の「ターボジェットエンジン」が約4倍になっていますが、これは航空機用のエンジンで、ボーイング社がクダ州に東南アジアで初となる100%子会社である生産拠点を開設したことなどが影響していると考えられます。

一方で、2024年のマレーシアの対中輸入額は前年比14.8%と拡大し、2位のシンガポールの1.8倍という圧倒的な差で国別輸入先の1位となっています。1位の集積回路をはじめ、幅広い電子・電機製品・部品が上位を占め、その多くについて輸入額が増加しています。例外的に減少しているのが9位の「半導体デバイス」ですが、さらに品目を細かく見ていくと興味深いことが分かります。

マレーシアが中国から輸入している「半導体デバイス」の中で、輸入が半減しているのは太陽光発電モジュールと半導体部品です。前者は米国からの制裁で、マレーシアが太陽光パネルの迂回生産拠点として機能しにくくなっていることを反映していると考えられ、後者は米国向けの輸出が多い半導体のサプライチェーンから中国が排除されつつあることを想起させます。一方で、同じカテゴリーでも輸入が急増しているのがLED、センサー、電子部品で、米国からの制裁を受けない品目については中国製の部品が多く調達されていることが分かります。

以上のように2024年のマレーシアの米中両国からの輸入については、やはり米中対立や米国の貿易政策の影響を強く受けていることが分かります。

熊谷 聡(くまがい さとる)
Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。
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