【総点検・マレーシア経済】第513回 マレーシアの「トランプ関税」を見据えた駆け込み輸出の状況

第513回 マレーシアの「トランプ関税」を見据えた駆け込み輸出の状況

2024年11月のマレーシアの輸出は前年同月比3.7%増となりました。10月に0.4%減となってから2カ月連続で増加し、持ち直しているように見えます。しかし、実際には米国向けの輸出が異常に伸びていることが大きく影響しており、輸出全体は低調だと言えます。

 

図はマレーシアの2024年の月別の輸出額を全輸出(青線)と米国向けを除いた輸出(橙線)で示したものです。全輸出では10月以降、マレーシアの輸出は持ち直しているように見えますが、米国向けを除いた輸出を見ると、9月以降マイナス幅を徐々に拡大しており、全く異なる傾向が見られます。

米国向けの輸出が大幅に伸びているのは全世界に対して米国が一律に10%〜20%の関税を課すといういわゆる「トランプ関税」のリスクに対し、各企業が輸出の前倒しで対応しているためであると考えられます。その結果、マレーシアの対米輸出は10月は前年同月比32.5%増、11月は57.3%増と異常な伸びを示しています。

表はマレーシアの2024年11月の対米輸出上位10品目の前年同月比での変化を見たものです。輸出額1,2位の集積回路と記録メディアがそれぞれ153.5%増、458.4%増とすさまじい伸びを示していることが分かります。ちなみに上位10品目で唯一減少となっている「半導体デバイス」をより詳しく見ると、大幅に減少しているのは「太陽光発電モジュール」であることが分かります。これは、米商務省がマレーシア、ベトナム、タイ、カンボジアの4カ国の主に中国企業に対してアンチダンピング関税を10月1日から課している影響であると思われます。

以上のように、マレーシアの現在の輸出は米国向けの駆け込み輸出によって支えられており、これは2024年のGDP成長率を押し上げると同時に、2025年のいずれかの時期で反動が生じ、経済成長率を押し下げる要因になると考えられます。

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

【総点検・マレーシア経済】第512回 2025年のマレーシア経済の見通しは

第512回 2025年のマレーシア経済の見通しは

2025年1月、トランプ政権が発足します。様々な点で米国の経済政策がどうなるか不透明な中、マレーシア経済の2025年はどうなるでしょうか。

マレーシア政府は2025年の経済成長率を4.5%〜5.5%と予測しています。2024年の経済成長率が5.0%を少し上回りそうな中、政府としては2024年とほぼ同様の経済成長率を見込んでいると言えます。

一方で、世界銀行は2025年のマレーシアの経済成長率を4.5%、IMFは4.7%と予測しています。これは、マレーシアの政府の予測の下限に近いものです。筆者も現在のところ、2025年のマレーシアの経済成長率は政府予測の下限か、それを少し下回るのではないかと考えています。4.2%〜4.7%程度ではないかと予想します。

理由は以下の通りです。まず、現在のマレーシア経済は民間消費が徐々に減速する中で、投資が二桁の伸びを示して経済を支えています。産業別に見ると製造業もサービス業も強いとはいえない状況の中で、建設業が20%近い伸びを示しています。世界経済についての不透明感が強まる中で、これ以上の速度で投資が伸びる可能性は低いと筆者は考えます。

そうなると、これまでのように民間消費や投資が経済を支えつつも、輸出が伸びていかなければ5%台の経済成長は難しいことになります。そこで障害となるのがトランプ政権の関税政策の不透明性です。

図1はマレーシアの国別輸出のトップ3であるシンガポール・中国・米国向けの輸出の推移です。次期大統領がトランプ氏になる可能性がでてきた10月、それが決まった11月と、米国向けの輸出が大幅に伸びていることが分かります。

図2はマレーシアの米国向けの輸出の過去3年間について比較したものです。10月は前年同月比32.5%、11月はと57.3%もの伸びを示しています。つまり、減速気味だったマレーシアの輸出が直近で持ちこたえているのは、トランプ政権の関税引き上げを見越した米国向けの輸出の「前倒し」がひとつの要因になっていることが分かります。

こうした米国向け輸出の「前倒し」はいつまでも続くものではありません。いずれ、前倒しの反動が出る時期がやってきます。つまり、2025年のマレーシアの米国向けの輸出は、通年では2024年第4四半期のように大幅に伸びることは期待できません。

本連載509回で述べたように、トランプ政権の関税政策がマレーシア経済に与える影響はそれほど大きくなることはないと考えられます。しかし、その不確実性が世界経済にマイナスに作用する中で、2025年マレーシア経済は減速気味に推移するものと考えられます。

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

【総点検・マレーシア経済】第511回 データセンター市場で飛躍するマレーシア

第511回 データセンター市場で飛躍するマレーシア

12月6日付けのThe Edge Web版に「躍進を続けるマレーシアのデータセンターハブ(The rise and rise of the Malaysian data centre hub)」と題した記事が掲載されました。2018年から23年にかけて年率70%で成長するASEAN5カ国(マレーシア、インドネシア、タイ、フィリピン、ベトナム)のデータセンター市場の中でも、マレーシアはその成長を主導しているとのことです。

マレーシアには過去2年間で990億リンギット(217億米ドル)のデータセンター投資が発表され、さらに1,490億リンギットの投資が計画されていること、アマゾンは2038年までに292億リンギの投資を表明し、GoogleとMicrosoftもそれぞれ20億ドル以上の投資を計画しているとThe Edgeは伝えています。

マレーシアがデータセンターのハブとして選択される最大の理由は、運用コストの安さです。図はシンガポールを100とした場合のASEAN各都市の電気料金、水道料金、工業団地賃料、中堅エンジニアの賃金を示したものです。各都市には一長一短がありますが、クアラルンプールは総合的にコストが安く、特にデータセンターの運用コストの30〜40%を占めると言われる電力料金の安さが目立ちます。

旺盛なデータセンターの建設需要に対し、ジョホール州は今年1月~5月に申請された14件の建設申請のうち4件を電力・水の節減策が不十分として却下したと伝えられています。マレーシアのデータセンター建設はより良いものを選別するフェイズに入っています。

さて、マレーシアのデータセンター誘致を仕切っているのはマレーシア・デジタルエコノミー公社(Malaysia Digital Economy Corp.: MEDC)ですが、この組織は以前はマルチメディア開発公社(Multimedia Development Corp.: MDC)と呼ばれていました。1996年に開始されたマルチメディア・スーパー・コリドー(MSC)計画を統括していたためです。プトラジャヤに隣接するサイバージャヤもこの時に情報産業の中核都市となるべく建設が開始されました。その後、MSCは必ずしも最先端のIT企業を誘致することはできていませんでしたが、ここにきて地域のデータセンターハブというかたちでその努力は花開くことになりました。

もう一つ、アジア通貨危機で半島部の光ファイバーを持つTime dotCom社が破たんしたとき、SingTelによる資本参加をマハティールが認めず、結局、政府系のカザナ・ナショナルが買い取ったという経緯があります。光ファイバーを自国資本で確保したこの時の判断は、今となっては間違いではなかったと言えるかもしれません。

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

【総点検・マレーシア経済】第510回 マレーシアの2024年第3四半期のGDP成長率は5.3%、通年での5%台の成長がほぼ確実に

第510回:マレーシアの2024年第3四半期のGDP成長率は5.3%、通年での5%台の成長がほぼ確実に

11月15日、バンク・ネガラはマレーシアの2024年第3四半期のGDP成長率を前年同期比5.3%増と発表しました。これで第1四半期からの推移は4.2%、5.9%、5.3%で、第3四半期までの合計で前年同期比5.2%増となっています。第4四半期のGDPが前年同期比4.3%増を下回らなければ、通年では5%成長が達成されます。

月別のGDP成長率を見ると、7月が7.4%増、8月が4.7%増、9月が4.0%と減速してきており、やや心配です。ただ、11月19日に発表されたマレーシアの10月の輸出額は前年同月比1.6%増で、不調だった9月の0.3%減からやや持ち直しています。目立つのは米国向け輸出で、10月は32.4%増でシンガポールを上回って国別で首位に立っています。輸出の中心である電子・電機産業の輸出も9月の1.2%減から10月は7.6%と回復しており、ずるずると悪くなるようには見えません。今後は、トランプ関税を見越した輸出の前倒しも考えられます。

産業別に見るとサービス業は第2四半期の5.9%増から5.2%増へと減速する一方、製造業は4.7%増から5.6%増に上向いています。目立つのは建設業で、第2四半期の17.3%増に続いて第3四半期も19.9%増と好調が続いています。

支出項目別では民間消費が第2四半期の6.0%増から4.8%増に減速する一方で、粗固定資本形成が11.5%増から15.3%増に加速しています。

これまで、マレーシア経済は長く民間消費が牽引する構造が続いていましたが、ここにきて、民間投資や建設部門が経済を牽引するという、1990年代を彷彿させる状態になっています。

図はマレーシアの四半期GDP、民間消費および民間投資の推移を示したものです。民間消費・民間投資は2019年第1四半期を100とした場合の水準を示しています。民間消費(青線)については、2020年第2四半期を底に順調に回復し、2023年の段階でコロナ禍前を上回っていることが分かります。一方で、民間投資(橙線)については2021年第4四半期を底としながらも回復が鈍く、ようやく2024年になってコロナ禍前に並んだところです。

トランプ政権下で2025年は輸出の先行きが怪しくなる可能性があり、マレーシアの景気が好調に推移するためには、これまで経済を引っ張ってきた民間消費に加えて、民間投資の好調さが続くことが重要になってきます。

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

【総点検・マレーシア経済】第509回 第2次トランプ政権の関税政策がマレーシアに与える影響は?

第509回 第2次トランプ政権の関税政策がマレーシアに与える影響は?

2024年11月の米大統領選挙において、ドナルド・トランプ前大統領が再選を決めました。トランプ次期大統領は、中国製品に対する60%~100%の関税と、その他の国々に対する10%~20%の関税を導入することを掲げています。

マレーシア経済は、2018年から始まった米中貿易戦争の「漁夫の利」を大きく受けた国の一つとされており、実際、近年は米中両国からマレーシアへの大型の投資が相次ぎ、米国向けの輸出は今年8月にシンガポール、中国を上回って国別の輸出先として首位に立ちました。これは、2007年12月以来、実に16年8カ月ぶりのことです。

こうなると、気になるのは第2次トランプ政権の関税政策がマレーシア経済に与える影響です。トランプ次期大統領は文書として公約には掲げていないものの、インタビュー等で中国製品に対して60%~100%の関税を課すことに加え、その他の国々に対しても10%~20%の関税を課すと繰り返し発言しています。

筆者の所属するアジア経済研究所の経済地理シミュレーション(IDE-GSM)チームでは、今年4月に米国が対中関税60%、その他の国に10%の関税を課す場合の国別・産業別の影響の試算を行い、11月には対中関税60%、その他の国に20%の関税が課される場合の試算を行いました。どちらのケースでも中国経済への影響はマイナス0.9%と変わらない一方で、米国経済への影響は10%関税ではマイナス1.9%、20%関税ではマイナス2.7%と、高い関税率を他国に課すほど、自国経済への影響のマイナス幅が大きくなることが示されています。

この2つのケースにおけるマレーシア経済への影響を産業別に示したものが図になります。マレーシアを含む全世界への関税が10%の場合(緑棒)、マレーシアではその他製造業(0.8%増)、食品加工業(0.7%増)、農林水産業(0.2%増)などプラスの影響を受ける産業が多く、GDP全体では0.2%増となります。これは、中国への60%関税の「漁夫の利」がマレーシアへの10%の関税のマイナスを全体としては上回っているためです。

一方で、マレーシアを含む全世界への関税が20%の場合(橙棒)、食品加工業(0.6%増)、その他製造業(0.5%増)、自動車産業(0.3%増)などはプラスの影響を受ける一方で、マレーシアの輸出の中心である電子・電機産業への影響はマイナス1.4%とかなり大きくなります。結果、GDP全体への影響はマイナス0.01%とわずかではありますがマイナスとなっています。

これらはあくまでも試算ですが、第2次トランプ政権の関税政策がマレーシア経済に正負どちらの影響を与えるかは関税率次第で、現在のところは見通せないということになります。

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

【総点検・マレーシア経済】第508回 2025年予算のポイント(2)

第508回 2025年予算のポイント(2)

10月18日、マレーシア政府の2025年予算が下院に上程されました。筆者の印象としては、長年続いてきた成長の成果を国民に還元することを強調する予算から、財政再建と経済成長に重点を置いた予算へと転換したように見えます。

マレーシアの税収の対GDP比は12.6%と、タイ(16.1%)、フィリピン(14.1%)、シンガポール(13.7%)に比べて依然低い水準にあると指摘されています。本来は、GSTを導入して財政基盤を強化したいところですが、事実上アンワル政権下では導入しないことを首相が公言しています(本連載507回参照)。そのため、財政基盤強化の代替策として、2025年予算では売上・サービス税の対象拡大や、高額配当所得に対する2%の課税を導入するなどして、税収の拡大を図ることになっています。

2025年の歳入予測は、前年度から5.5%増加し3,400億リンギに達すると見込まれています。うち、税収は2,590億リンギで前年比7.5%増加、法人税が8.1%、個人所得税が7.8%増加する一方で、課税対象を拡大する売上・サービス税は14.2%の増加を見込んでいます。

歳出削減については、アンワル政権発足時からのキーワードとなっている「ターゲット型補助金(targeted subsidy)」導入が2025年予算でも続きます。2023年には電力料金への補助金改革、2024年にはディーゼル補助金改革を行いました。2025年には、補助金改革の中でも最難関とも言えるガソリン(RON95)補助金の改革が始まります。

RON95の補助金改革は、2025年の半ばから始まる予定になっており、富裕層や外国人がRON95ガソリン補助金の40%を享受しているため、この無駄を省くことで約80億リンギが節約されることが見込まれています。その結果、予算の中の補助金・社会支援支出は2023年の718.7億リンギから2025年は525.7億リンギへと約200億リンギ減少する予定です。これだけで、財政赤字は対GDP比で1.15%減少すると考えられます(図1)。

ただし、RON95の補助金改革は、ディーゼル補助金と異なり、国民のほとんどが関係することになるので、ディーゼル補助金のように特別なカードを発行して割安な購入を可能にするわけにはいきません。

11月6日、ラフィジ経済大臣はRON95の改革について、全国民が補助金なしの価格でガソリンを購入し、対象者には現金を給付することで補填するかたちではなく、対象者と非対象者でガソリン価格を2段階にする制度を導入すると発言しました。国民IDカードであるMyKadを利用するのではないかという見方もありますが、具体策は明らかになっていません。

このように、筆者は2025年予算について、成長戦略や財政再建に重きを置いた手堅い予算であるとの印象を受けました。行政改革や汚職撲滅の推進が盛り込まれていることと合わせて、選挙を意識した国民向けの予算が続いていた近年の状況から、アンワル政権は次の選挙までの期間を国の基盤を整える期間であると位置づけている、という認識を持ちました。

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【総点検・マレーシア経済】第507回 2025年予算のポイント(1)

第507回 2025年予算のポイント(1)

10月18日、マレーシア政府の2025年予算が下院に上程されました。これは、アンワル政権になってから3度目の予算となりますが、初年度の予算は政権交代直前に作成されたものを政権交代後のわずかな時間で改訂したため、実質的には2度目の予算となります。アンワル首相の予算演説は約2時間半と昨年同様の長さでした。

予算の内容とは少し異なるポイントとして、予算説明に入る前に冒頭10分以上を使って予算の「精神」についてアンワル首相が語った点が挙げられます。ムハンマドやアリストテレスの言葉を引用して、望ましい予算とはどのようなものかを語りました。その中では、先日ノーベル経済学賞を受賞したアセモグルらについても触れ、国家の成功には制度が重要である点を述べています。また、自身が各所への視察で得た逸話を盛り込み、予算が現場のニーズに基づいていることを強調しています。

予算のポイントはいくつかありますが、基調としては財政健全化に向けた取り組みをアピールした「地味」な予算であったという印象を筆者は受けました。また、2024年予算ではサービス税の8%への引き上げを発表する一方で、それによる税収増が政府の財政見通しの文書に反映されていなかったり、事前に言及されていた漸進的賃金制度について予算演説でも文書でも全く触れられていなかったりと、ちぐはぐな点が目立ちました。今年度の予算は、それに比べると落ち着いたものとなっています。

財政健全化については、2022年時点でGDP比5.5%であった単年度の財政赤字は、2025年には3.8%にまで縮小すると見込まれています(図参照)。2027~29年までに3.0%まで削減することが目標とされていますが、これまでの推移を見る限り、十分に達成可能であるとみることができます。

さらに、この財政再建に関連して、予算演説に先立つ10月13日、アンワル首相はGSTの導入に前向きなマレーシア華僑商工会議所(ACCCIM)でのスピーチで、「最低賃金が3,000〜4,000リンギになるまで、GSTの導入は考えない」と明言しています。2024年の予算文書の中ではGSTの導入に前向きと取れる記述もありましたが、今回の首相の発言で、アンワル政権が続く限り、少なくとも今後10年はGSTを導入しないことが明確になりました。

これまでの方向性からみると、国民の反発を招く可能性があるGSTを再導入しなくても、補助金の削減とサービス税や他の税の見直し、経済成長によって財政健全化は達成できるとアンワル政権は考えているようです。

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【総点検・マレーシア経済】第506回 8月の貿易統計、米国向け輸出急増の謎を解く

第506回 8月の貿易統計、米国向け輸出急増の謎を解く

マレーシア統計局は9月19日、8月の貿易統計を発表しました。輸出は前年同月比12.1%増となり、7月に続いて二桁増を記録しました。中でも注目されたのは、米国向け輸出が45.4%増と急増し、国別の輸出先としてシンガポール・中国を上回って首位に立ったことです。米国向けが月次の輸出先で首位になるのは、2007年12月以来、実に16年8カ月ぶりということになります。この米国向けの輸出急増の要因は何でしょうか。

表1はHSコード4桁レベルで見た品目別の対米輸出の変化です。最も増えたのが集積回路(23.3億リンギ増)で、それに記録媒体(12.9億リンギ増)が続きます。集積回路は主に半導体とその部品、記録媒体は主にSSD・フラッシュメモリーです。記録媒体は前年同月比でなんと5.1倍に急増しています。この2品目で8月の対米輸出の増加分の約6割を占めています。以下、医療機器、プリンター等、ラジオテレビ等の部品が続きます。

こうした対米輸出の増加に、米中貿易戦争はどのように関連しているのでしょうか。図1、2は集積回路と記録媒体について、米国のマレーシアと中国からの輸入額の推移を見たものです。まず、半導体については、2017年以降、常にマレーシアからの輸入が中国からの輸入を大幅に上回っており、もとからマレーシアが強かったといえます。一方で、記録媒体については2019年以降中国からの輸入が急減し、マレーシアからの輸入が中国を上回っています。ここには米中貿易戦争の影響が見て取れますが、2020年には中国からマレーシアへの代替がほぼ完了していたと言えます。

この8月にマレーシアの対米輸出が急増したのは、集積回路と記録媒体の輸出急増が主因です。その背景にあるのは、米国でのAI関連を中心としたデータセンター需要の急増ではないかと思われます。マレーシアには集積回路ではインテル、記録媒体ではマイクロン・テクノロジー、ウエスタンデジタル、サンディスクなどが立地しています。こうした企業はいずれも近年、マレーシアで生産設備を大規模に拡張しています。

では、集積回路と記録媒体のどちらが8月の対米輸出急増の主因かと問われると、集積回路であるということになります。記録媒体は7月も前年同月比4.6倍で、このところの対米輸出増加をずっと支えていました。一方、集積回路については7月は16.7%増にとどまっており、8月に2.1倍と急増しました。8月に出荷が始まった半導体、ということでみると、6月にインテルが発表したサーバー向けCPUであるXeon 6の可能性が高そうです。

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【総点検・マレーシア経済】第505回 ブミプトラ経済変革計画2035とは何か(2)

第505回 ブミプトラ経済変革計画2035とは何か(2)

マレーシア政府は2024年8月19日、ブミプトラ経済変革計画2035(PuTERA2035)を発表しました。この計画は2035年までの約10年間で実施され、ブミプトラの経済参加・所有・支配を拡大し、他の民族との経済格差を縮小することを目的としています。

アンワル首相はPuTERA2035の前文や発言で、それがブミプトラ以外の人々の利益を脅かさないものであることを強調しています。実際に、PuTERA2035の多くの数値目標は、ブミプトラの経済水準を多民族に関係なく引き上げることを目指すもので、例えば「ブミプトラの極度貧困率を0%にする」というようなものです。一方で、連載第504回で指摘した3つについては、民族間の分配の問題にかかわるものです。

中でも、「ブミプトラ個人および機関による株式所有比率を2020年の18.4%から2035年に30%に引き上げる」という目標は重要です。これは、1971年の新経済政策から掲げられてきたブミプトラの株式所有比率を30%にまで引き上げる、という目標を引き継ぐものです。このブミプトラの株式所有比率30%の目標については、2006年にマハティールに近いシンクタンクが「既に30%目標は達成されている」という試算を発表して物議を醸しました。というのも、もしこれが達成されていれば、ブミプトラ優遇政策を続ける根拠のひとつが失われてしまうためです。

このブミプトラの株式所有比率には「個人といくつかのブミプトラ委任機関による保有が含まれる」とありますが、具体的にどのような機関による保有が含まれるかは明記されていません。おそらく、PNBや巡礼基金は含まれるが、カザナ・ナショナルやEPFは含まれない、というようなことだと筆者は推測します。つまり、政府の株式保有はブミプトラによる株式保有とイコールではない、というのが、いまだに30%目標が達成されていないとされる大きな理由であると考えます。

PuTERA2035の中では、この目標を達成するための具体策として、イスラム信託基金の強化やブミプトラ企業の業績を向上させるためのファンドの設立、上場企業の民族別株式保有比率の公開義務づけ、ブミプトラ企業の上場の促進などがあげられています。

こうしてみると、PuTERA2035は民族間の分配問題に最も関係している、ブミプトラの株式所有比率を30%に高めるという目標についても、具体的な政策はブミプトラ企業の支援が中心で、民族間の再分配的な政策ではないことが分かります。つまり、PuTERA2035をブミプトラ政策の強化としてことさらに警戒する必要はないと筆者は考えます。

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【総点検・マレーシア経済】第504回 ブミプトラ経済変革計画2035(PuTERA2035)とは何か(1)

第504回 ブミプトラ経済変革計画2035(PuTERA2035)とは何か(1)

マレーシア政府は2024年8月19日に、ブミプトラの経済的地位向上を目指す包括的な計画として「ブミプトラ経済変革計画2035(PuTERA2035: Pelan Transformasi Ekonomi Bumiputera 2035)」を発表しました。この計画は2035年までの約10年間で実施され、ブミプトラの経済参加・所有・支配を拡大し、他の民族との経済格差を縮小することを目的としています。

2023年9月、アンワル首相は第12次計画の中間レビューに際して24年初にブミプトラ経済会議を開催し、ブミプトラ政策の新しい方向性を決めると予告していました。実際には2024年2月29日~3月2日にかけてブミプトラ経済会議が開かれ、今回のPuTERA2035の発表に至りました。

マレー系などの先住民を優遇するいわゆる「ブミプトラ政策」は、新経済政策(NEP: 1971〜1990年)によって開始されました。その後も、国家開発計画(NDP: 1991〜2000年)、国家ビジョン計画(NVP: 2001〜2010年)と、後継の政策が定められました。

ナジブ政権下で定められた新経済メカニズム(NEM: 2011〜2020年)では、ついに本文中でブミプトラ政策を批判する文言が登場しました。しかし、2013年5月の第13回総選挙でナジブ政権が華人の支持を失ったことで政策は大きく転換され、9月にはブミプトラ経済エンパワーメント・アジェンダが発表され、ブミプトラ政策は強化されました。

その後、2019年にマハティール政権下で繁栄の共有ビジョン(Shared Prosparity Vision: 2021〜2030)が発表されましたが、政権交代が続いたことで位置づけが曖昧になりました。そうした中で、今回、ブミプトラの経済政策に特化した計画として、PuTERA2035が発表されたことになります。

アンワル首相は前文で同計画は「ブミプトラ社会のための排他的な経済計画ではない。むしろ、この計画は、疎外された大多数の人々の経済を推進するのに役立つ」と述べています。また、「ブミプトラ関連の政策は…決してインド人、華人、ましてやオラン・アスリやサバ、サラワクのブミプトラの利益を軽視するものではありません」とコメントしています。

PuTERA2035の中にはブミプトラの経済的プレゼンスについての数値目標が多く上げられていますが、その多くは他の民族にかかわらずブミプトラの水準を引き上げることを目指すものです。ただし、いくつか他の民族との分配の問題に関係するものがあり、具体的には以下の3つです:

・ブミプトラの高度技能職従事率を2022年の61%から2035年に70%に引き上げる

・ブミプトラ個人および機関による株式所有比率を2020年の18.4%から2035年に30%に引き上げる

・政府系企業(GLC)および政府系投資会社(GLIC)を通じたブミプトラの参加と支配を20%に引き上げる

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp