【総点検・マレーシア経済】第543回:イラン攻撃、マレーシアへの影響は

第543回:イラン攻撃、マレーシアへの影響は

2026年2月28日、米国・イスラエルがイランへの攻撃を開始しました。イランはホルムズ海峡を事実上封鎖し、原油価格(Brent)は70ドル台から一時は126ドルにまで急騰しました。今回は、マレーシアへの影響を、石油関連3品目(HS2709原油、HS2710石油製品、HS2711 LNG等)の2025年の貿易データから分析します。

まず原油(HS2709)です。マレーシアは産油国のイメージがありますが、実態は大幅な輸入超過です。輸出55億米ドルに対し輸入は126億米ドル、差引き約71億米ドルの輸入超過となっています。輸入元の上位はサウジアラビア(33%)、UAE(21%)、オマーン(9%)と中東に集中しており、ホルムズ海峡の閉鎖は直接的な供給途絶リスクとなります。では国内産原油を国内向けに振り向ければよいのではないでしょうか。残念ながら話はそう単純ではありません。マレーシア産のタピス・ブレンドは軽質低硫黄のプレミアム原油で、国内製油所の多くは中東産の重質高硫黄原油を処理する設計になっています。品質のミスマッチにより、単純な代替は困難なのです。ただ、それでも処理は不可能ではありませんし、マレーシア産の原油の20%程度はスポット市場で取引されていると言われており、その分を国内市場にまわせば多少は輸入分を補うことが可能です。

もうひとつ、マレーシアが原油の大幅輸入超過になったのは、2022年以降です。コロナ禍からの回復もありますが、ジョホール州の巨大石油コンビナートRAPIDがフル稼働したのと同時期です。つまり、マレーシアの原油の大幅な輸入超過は、純粋な国内需要というよりも巨大石油コンビナートの原料として大量に輸入しているのです。

<表1>

次に石油製品(HS2710)です。輸出222億米ドル、輸入214億米ドルとほぼ拮抗しています。シンガポールを中心とした域内での双方向貿易が主体であり、原料となる原油の供給途絶リスクは残るものの、価格面では輸出入が相殺し合うため、ヘッジが効いている構造と言えます。

<表2>

そしてLNG等(HS2711)です。ここがマレーシアの強みです。輸出134億米ドルに対し輸入はわずか18億米ドルです。大幅な輸出超過となっています。LNGは長期契約(4〜25年)が取引の6割超を占め、原油のJCC価格に連動して価格が決まるため、スポット価格の急騰が輸出収入に反映されるまで3〜6ヶ月のラグがあります。ただ、イランの攻撃によりカタールのLNG生産の一部が停止しており、アジア向け代替供給先としての需要が高まっており、スポット分も含め輸出金額の増加は確実です。

<表3>

3品目を合計すると、輸出410億米ドルに対し輸入359億米ドルとなります。マレーシアはエネルギー全体では輸出超過であり、原油価格上昇に対するヘッジは他のASEAN諸国と比べると格段に効いています。ただし中東産原油の供給途絶リスクは残るため、備蓄の状況が重要になります。マレーシアは日本や韓国のような国家戦略備蓄制度は持っていません。ペトロナスは国内に安定して十分な燃料を供給することを優先すると語っています。アンワル首相も石油製品の供給は少なくとも5月までは目処が立っていると発言しています。

最後に財政面です。ここは明確にマイナスです。アンワル首相は RON95とディーゼル補助金が月間RM7億からRM32億と4倍超に膨張したと明かしています。The Starによると、原油100米ドル前提で追加歳入はRM105億ですが、追加補助金はRM198億と大幅に上回ると試算されています。4月1日からRON95について補助金枠での給油上限が月間300Lから200Lに引き下げられましたが、状況によっては価格の見直しも十分にありうると考えられます。

総合すると、マレーシア経済は周辺国と比較して、格段に原油価格高騰への耐性があります。一方で、中東産原油の供給途絶に対しては国内産原油の活用や代替調達先の確保など、本格的な対策をしなければ厳しい状況です。ただ、マレーシアはイランの中国への原油の輸出が「マレーシア産」とされていることについて、事実上黙認するなどイランに対して「貸し」があるはずで、現在もタンカーのホルムズ海峡通過の交渉を行っているとみられ、そのあたりの進展にも注目する必要があるでしょう。

と書いているうちに、3月26日、マレーシアのタンカーはホルムズ海峡の通過を許可されたことが発表されました。通常と比べて何%の原油を輸送できるのかは不明ですが、原油不足への懸念はやや和らいだことになります。

 

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

 

 

【総点検・マレーシア経済】第542回:1月のマレーシアの製造業指数は7.3%増と好調を維持

第542回:1月のマレーシアの製造業指数は7.3%増と好調を維持

3月11日、統計局はマレーシアの1月の製造業生産指数が前年同月比7.3%増だったと発表しました。12月の6.7%増からさらに上昇し、好調が続いています。内訳を見ると、内需向けは12月の5.2%増から6.4%増に、外需向けも7.5%増から7.8%増へとそれぞれ伸びました。とりわけ電子・電機製品は15.2%増と、12月の12.8%増から一段と加速しています。

図は2024年以降のマレーシアにおける内需向け・外需向け製造業生産指数の推移(前年同月比)を示しています。内需向け(青)は2024年前半の高い伸びから減速し、2025年1月にはほぼ横ばいまで低下しました。その後は年末にかけて持ち直し、2026年1月には6%台の高い伸び率を記録しています。一方、外需向けは2024年初の低迷から夏場にかけて回復し、2025年前半はトランプ関税の影響下でも堅調に推移しました。しかし5〜8月は伸びが鈍化しており、4月2日以降の関税政策をめぐる不確実性の高まりが背景にあるとみられます。8月以降は状況が落ち着きを取り戻すとともに成長が再加速し、12月には7%台に達しました。

このように、2025年後半からマレーシアの製造業は内外需共に好調で、これが2025年通年のGDPが5.2%となり、トランプ関税によって下方修正された政府の予測である4.0%〜4.8%を大きく上回った要因です。

外需については、AIブームの恩恵を受けていることは間違いありません。特に米国向けの輸出が好調で、2025年12月には前年同月比でほぼ50%増という驚くような伸び率を記録しています。内需も堅調で、マレーシアの2025年の自動車販売は過去最高を記録しました。

3月12日に発表された卸売・小売指数も数量指数で5.8%増、売上高で7.3%増と引き続き好調です。米国とイスラエルのイランへの攻撃が、鉱業部門を中心にどのような影響を与えるかは不透明ですが、この調子で推移すると、2026年第1四半期のマレーシアのGDP成長率は6%台に乗る可能性もあります。

昨年来のかなり急激なリンギ高の中でも、マレーシア経済に通貨高の悪影響が出ているようには見えません。高い経済成長率と相まって、マレーシア経済は「高所得国入り」へのラストスパートの段階に入っているように見えます。

 

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

 

【総点検・マレーシア経済】第541回 マレーシアの自動車市場に波乱の予感

第541回 マレーシアの自動車市場に波乱の予感

マレーシアの自動車市場は、長く第2国民車メーカーのプロドゥアが絶対王者として君臨してきました。2006年にプロトンを追い抜いて以来、実に20年連続(2006〜2025年)でブランド別販売台数トップの座を守り続けています。その快進撃を支えたのが、2005年に登場した大ヒットハッチバック「Myvi」でした。近年はセダンの「Bezza」が看板車種に成長し、「Axia」「Myvi」と合わせたプロドゥア3車種が車種別ランキングの上位を独占する構図が定着していました。

しかし、2026年1月の車種別販売台数データは、この「プロドゥア1強体制」の揺らぎを明確に示すものとなりました。メーカー別の1位はプロドゥア(26,130台)、2位がプロトン(19,833台)となり、その差が縮まっています。

車種別で首位に立ったのはプロトン・サガです。サガは1985年に誕生したマレーシア初の国民車であり、プロドゥアの台頭以前は販売ランキングの常連トップでした。2005年にMyviに王座を明け渡して以来、約20年ぶりの月間首位返り咲きとなります。

2位〜4位にはプロドゥアの主力車種が続きます。注目すべきは5位です。5位に入ったのは、プロトンのEVハッチバック「e.MAS 5」です。エンジン車が圧倒的に強いマレーシアの自動車市場において、EVが月間セールス上位5位に食い込んだのは史上初です。

プロトンは、2000年代から2010年代にかけて長い低迷期を経験しましたが、2017年に中国・吉利汽車(Geely)が49.9%の株式を取得して以降、明確に反転攻勢に転じました。特にEV分野での動きは素早く、2024年末に「e.MAS 7」を投入したのを皮切りに、2025年10月には小型EV「e.MAS 5」を発売しています。さらに2026年2月にはe.MAS 7のPHEVモデルも発売しました。いずれもGeelyのEVプラットフォームを活用しており、中国で培われたEV技術をマレーシア市場へ迅速に展開できるのが強みです。

一方のプロドゥアは、EVで完全に出遅れました。親会社のダイハツにはEVプラットフォームの提供能力がなく、オーストリアのマグナ・シュタイアと共同でゼロから独自開発した「QV-E」を2025年12月1日に発売しました。バッテリーをリース方式にした革新的なモデルですが、中国製部品の品質問題で生産が遅延しています。2026年2月初旬時点での予約台数はわずか205台に留まり、1月の登録台数はゼロでした。

マレーシア市場は、タイやインドネシアと比べてEVの普及率が低い状況です。これは、政府がEVの輸入に一定の規制をかけてきたためです。MITIのフランチャイズAP政策によりRM10万未満のEV完成車の輸入を事実上禁止し、2026年からはさらに新規ブランドのEV完成車輸入条件をRM25万以上に引き上げました。この保護政策もあり、BEVが市場全体に占める比率は2025年は約3.8%に留まりました。ただし2026年1月には、e.MAS 5の好調もあってEVシェアが9.2%へと急伸しており、流れは確実に変わりつつあります。

もしプロトンがタンジュンマリムの新EV工場を稼働させ、国内生産体制を本格的に整えれば、状況はさらに大きく動く可能性があります。プロトンは2026年の販売目標を20万台に設定し、市場シェア30%超を目指すと宣言しました。1月の勢いを見る限り、それは決して夢物語ではありません。マレーシアの自動車市場は、静かに、しかし確実に地殻変動を起こしつつあります。

 

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

 

【総点検・マレーシア経済】第540回 2025年12月の米国向け輸出激増の要因を探る

第540回 2025年12月の米国向け輸出激増の要因を探る

2025年12月のマレーシアの米国向けの輸出額は、前年同月比48.8%増の282億リンギとなりました。これは2024年11月の203億リンギを上回り、単月としての過去最高を大幅に更新しました。

この米国向けの輸出額の急増は何が要因になっているのでしょうか。表は2025年12月のマレーシアの米国向けの輸出について、輸出額上位10品目を示したものです。マレーシアの米国向け輸出で首位の常連であるIC(プロセッサ)を抑えて、HSコード847180「GPUカード」が首位に立っています。前年同月からの変化率はなんと59倍で、この品目だけで12月のマレーシアの米国向け輸出増加分の4割以上を占めています。その他も、上位品目は軒並み半導体・PC関連で、大きく輸出額が増加しています。

これはAIブームの一環であると言えますが、同時に米国の半導体についての通商拡大法232条の問題が関係しています。米国商務省は2025年4月から、半導体が米国の安全保障に与える影響について調査しており、270日以内にその結果が出ることになっていました。その期限が2025年12月下旬です。

実際、2026年1月14日、米国は商務省の報告に基づき、NVIDIA H200やAMD MI325Xなどの先端AI向け演算チップについて、米国内での使用をほぼ除外したかたちで、25%の関税を課すことを発表し、翌日から発効しました。これは、高性能AI半導体の中国向けの再輸出に対する事実上の課徴金という性格を持っています。

米国側の2025年12月の貿易データが発表されていないため、マレーシアから輸出されたGPUカードが米国内で使用するためのものだったのか、それとも中国への再輸出を念頭に置いたものだったかは明らかではありません。しかし、半導体に対して何らかの関税が導入されることは確実でしたから、それを避けるために駆け込みでGPUカードが大量に輸出されたというのが、2025年12月のマレーシアから米国への輸出急増の主な要因であると言えるでしょう。

 

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

 

【総点検・マレーシア経済】第539回 マレーシアの2025年第4四半期の経済成長率(事前予測値)は5.7%

第539回 マレーシアの2025年第4四半期の経済成長率(事前予測値)は5.7%

1月16日に発表されたマレーシアの2025年第4四半期の経済成長率(事前予測値)は前年同期比5.7%で、第3四半期の5.2%からさらに加速しました。その結果、2025年通年の経済成長率は4.9%程度になると見込まれ、その結果、2025年通年の経済成長率は4.9%程度になる見込みです。これは現在の政府予測である4.0〜4.8%の上限を上回り、昨年7月に下方修正される前の政府予測4.5〜5.5%に近い水準です。これは、トランプ関税の悪影響を受けると懸念されていたマレーシアが、実際にはその影響を免れたことを示しています。

 

2025年第4四半期の経済が好調だった理由は、製造業が6.0%増(第3四半期は4.1%増)、サービス業が5.4%増(同5.0%増)と、ともに伸びたためです。年前半は振るわなかった自動車販売も年後半に伸び、82万752台と過去最高を更新しました。これによりインドネシアを上回り、ASEAN最大の自動車販売台数を記録したと報じられています。

図は2024〜25年のマレーシアの四半期GDP成長率の推移です。 2024年第2四半期にピークを付けた後、減速傾向にあったマレーシア経済が、2025年後半に持ち直したことが分かります。

 

本連載の第512回、2025年初の時点で、筆者はマレーシアの2025年の経済成長率は当時の政府予測の下限(4.5%)を下回るのではないかと書いていました。実際、年前半はそのような推移でした。しかし、年後半になった経済は予想外に大きく持ち直しました。さまざまな要因がありますが、筆者は国内外でのAI・データセンター特需が影響しているとみています。事実、半導体が経済の中心を担っている台湾の2025年の経済成長率は8.63%と過去15年で最高を記録しました。

 

 

同時に、外国為替市場では対ドルでリンギ高が進んでいます。2025年1月には1ドル=4.5リンギ前後であったものが、2025年を通じてリンギ高が進み、2026年1月23日には遂に1ドル4.0リンギの壁を突破しました。

 

経済が好調で為替レートが上昇しているということは、ドル建ての一人当たり国民所得(GNI)を基準とする世界銀行の定義による「高所得国入り」にマレーシアが近づいたことを意味します。筆者の概算によれば、1ドル=4.0リンギで計算した場合、マレーシアの2025年のドル建て一人当たりGNIは14,500ドル前後になります。これは、2024年の世銀の基準における高所得国の下限である13,937ドルを上回ります。ただし、2025年の平均為替レートは1ドル=4.28リンギ程度であり、このレートで計算すると一人当たりGNIは13,500ドル程度にとどまります。

 

また、世界銀行が高所得国入りの判断に使う為替レートは3年移動平均であり、2023年と2024年は1ドル=4.5リンギを超える水準で推移していました。さらに、高所得国入りの基準は毎年変動しており、例年数%ずつ上昇しています。したがって、現在のリンギ高が反映され、世銀の基準で公式にマレーシアが高所得国入りしたと発表されるのは、2028年頃になると予想されます。

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

【総点検・マレーシア経済】第538回 米国の半導体への高率関税のマレーシアへの影響

第538回:米国の半導体への高率関税のマレーシアへの影響

連載537回で、「マレーシア側が大幅に譲歩しながらも米馬貿易協定を締結した最大の理由は、半導体について通商拡大法232条が発動される確率を低くするため」と書きました。この点について、もう少し詳しく見ていきます。

まず、現状、半導体・関連製品には相互関税が課されていません。2025年4月11日に発出された「大統領令14257号(2025年4月2日付、改正後)に基づく除外の明確化」には、半導体・関連製品を相互関税の対象から除外することが定められ、「半導体(semiconductors)」とは何であるかが明確化されています。

この文書によれば、相互関税から除外されている「半導体」には以下のものが含まれます。

・PC、ノートPC等(HTSUS 8471)

・半導体製造装置(HTSUS 8486)

・スマートフォン(HTSUS 85171300)

・SSD(HTSUS 85235100)

・フラットパネル・ディスプレイ・モジュール(HTSUS 85285200)

・ダイオード・トランジスタ等の半導体デバイス(HTSUS 8541)

・電子集積回路(HTSUS 8542)

2024年の米国のマレーシアからの輸入額のうち、57%が電子製品(ASEAN平均37%)で、うち73%(同67%)が上記の定義による「半導体」となり、輸出全体の41%(同25%)が相互関税から除外されていることが分かります。いずれも、ASEAN平均よりも高く、マレーシアはASEANで相互関税からの半導体除外で最も恩恵を受けている国であることが分かります。

この数値を用いてマレーシアの電子・電機製品に対する実質的な相互関税率を計算すると5.1%となり、名目上の相互関税率19%より大幅に低くなります。マレーシアの輸出全体について平均相互関税率を計算すると11.2%となります。

同時に、もしこの「半導体」に100%の関税率が課された場合に実質的な関税率がどうなるかを計算すると、なんと電子・電機製品への実質的な相互関税率は73.1%、対米輸出全体についての相互関税率は52.5%にまで跳ね上がります。

このように計算すると、マレーシアが米国と不利な貿易協定を結んだのは、通商拡大法232条が発動される確率を低くするためであるということにも納得できます。

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

【総点検・マレーシア経済】第537回 米マレーシア貿易協定解説(4)

第537回 米マレーシア貿易協定解説(4)

10月26日、ASEAN首脳会議に合わせてマレーシアを訪問したトランプ大統領とアンワル首相の間で「米国・マレーシア相互貿易協定(Agreement between the United States of America and Malaysia on Reciprocal Trade:通称ART)」が締結されました。

 

本連載の534回〜536回で解説したように、この協定でマレーシアは米国側に大幅な譲歩をしています。自動車市場の開放やデジタル税といった通常項目に加え、ART第5.1条に規定された「米国の貿易制裁への追随義務」など、マハティール元首相などマレーシア国内から強い批判を浴びた内容も含まれています。

 

マレーシア側は主に米馬貿易協定の条文において様々な工夫をすることで、米国の拘束力を何とか弱めようと努力しています。しかし、そうした工夫をトランプ政権がどれだけ尊重するかは不明です。それでは、なぜマレーシア側はこれほどまでにも不利に思える貿易協定を結ぶに至ったのでしょうか。

 

マレーシアが大幅に譲歩した最大の理由は、相互関税を24%から19%に引き下げるためではなかったと筆者は推測しています。より大きな脅威となったのは、トランプ大統領が半導体への高率関税を繰り返しほのめかしていることです。同氏は8月6日に米国輸入の半導体ほぼすべてに100%の関税を課すと発言し、8月15日には関税率を200%または300%にすると述べました。米国内に工場建設をコミットした企業には関税を免除するとしており、マレーシアからの半導体輸出の約3分の2は免除対象になると思われますが、影響がなくなるわけではありません。

 

この半導体への関税は、相互関税とは別の枠組みである米国通商拡大法232条に基づくものです。同法は国家安全保障を理由に特定品目へ関税を課す権限を大統領に付与しており、実際に鉄鋼・アルミニウムには50%が課されています。半導体および製造装置、ならびに医薬品については、4月1日に232条発動の可否を判断するための国家安全保障調査が開始されました。商務省は270日以内(12月27日まで)に調査結果を大統領へ報告することが求められていましたが、その結果はまだ公表されていないものとみられます。

 

実は、この232条の発動を防ぐための条項がARTに付随する共同声明に含まれています。「米国は、本協定が国家安全保障に与える影響を好意的に考慮する可能性があり、これには1962年通商拡大法232条に基づく措置を講じる際に本協定を考慮に入れることが含まれる」というものです。

 

もちろん、これは「可能性」をほのめかせたものですので、実際にどこまで考慮されるかは分かりません。ただ、わざわざ共同声明にこうした文言を入れておきながら、マレーシアの米国への主要輸出品である半導体について何の考慮もなく232条を発動したとなると、米国の信用に関わることになります(相互関税を強行した時点でそんなものは既に無い、という言い方もできますが)。

 

このように、マレーシア側が大幅に譲歩しながらも米馬貿易協定を締結した最大の理由は、半導体について通商拡大法232条が発動される確率を低くするためであったと筆者は考えます。

 

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【総点検・マレーシア経済】第536回 米マレーシア貿易協定解説(3)

第536回 米マレーシア貿易協定解説(3)

10月26日、ASEAN首脳会議に合わせてマレーシアを訪問したトランプ大統領とアンワル首相の間で「米国・マレーシア相互貿易協定(Agreement between the United States of America and Malaysia on Reciprocal Trade)」が締結されました。

この協定の中で批判の矛先となっている米国の経済安全保障へのマレーシア側の協力義務の中で目を引くのは、第5.3条3項に書かれている内容です。マレーシアが「米国の本質的利益を危うくする」相手国と新たな自由貿易協定または優遇経済協定を締結した場合、米国側は本協定を打ち切り、かつ米国が定めた相互関税を課す権利を持つというものです。

例えば、マレーシアがイランとFTAを締結しようとした場合、米国がイランを「米国の本質的利益を危うくする」相手と判断すれば、米馬貿易協定は打ち切りにできることを意味します。これは、マレーシアが自由貿易協定を結べる相手国を米国が実質的に制限できることを意味します。

ただ、この条文にもマレーシア側が交渉過程で書き込んだと思われる単語があります。「もしマレーシアが、米国の本質的利益を危うくする国と、新たな二国間の自由貿易協定または優遇的経済協定を締結した場合(If Malaysia enters into a new bilateral free trade agreement or preferential economic agreement with a country that jeopardises essential U.S. interests)」とありますが、「自由貿易協定」の前に「新たな二国間の(new and bilateral)」という限定がついているのです。これにより、既存のFTAの更新(newではない)や多国間協定(bilateralではない)は米国の干渉の対象にならないことになります。

実際、この協定が結ばれた直後の10月28日、クアラルンプールで「ASEAN・中国FTA3.0」への署名が行われました。この協定は既存かつ多国間の協定であるため、この条文の対象外となります。

ザフルル大臣は、米馬貿易協定についての様々な批判に対して、当初の草案は「さらに悪かった(worse)」と明かしています。マレーシア側が交渉過程で条文に細かな制約を付けて精一杯抵抗したと筆者は想像します。ただし、こうした条文上の努力が実施に問題となった際にトランプ政権に通用するかは疑問が残ります。

 

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【総点検・マレーシア経済】第535回 米マレーシア貿易協定解説(2)

第535回:米マレーシア貿易協定解説(2)

10月26日、ASEAN首脳会議に合わせてマレーシアを訪問したトランプ大統領とアンワル首相の間で「米国・マレーシア相互貿易協定(Agreement between the United States of America and Malaysia on Reciprocal Trade)」が締結されました。

この協定についてマレーシア国内で批判の声が上がっています。最大のポイントは「米国の経済安全保障政策にマレーシアが強制的に組み込まれる」という懸念です。実際に、米馬貿易協定の5.1条には経済安全保障に関連するかなり拘束力が強い項目が含まれています。

まず、第1項では米国が貿易関連の経済安全保障措置を発動し、それをマレーシアに通知した場合、マレーシア側は「米国が採った措置と同等の制限効果をもつ措置を採用・維持するか、または両国にとって受け入れ可能な実施スケジュールに合意するものとする」とされています。

これは、例えば米国が中国に対して特定の半導体の輸出規制を導入し、マレーシアに同様の措置をとるように通知した場合、マレーシア側はほぼ同様の措置をとる義務があることを意味し、これまで米中対立に中立的であったマレーシアの貿易政策の自律性が大きく低下します。

これについて、ザフルル大臣は、マレーシアが米国の安全保障措置に同調する義務を負うのは、「『共有された』経済・国家安全に対する懸念(”shared” economic or national security concern)」に対応する場合に限られると条文に記載されていると反論しています。

確かに条文にはそうした文言があり、マレーシア側は「共有された(shared)」という単語を「経済・国家安全に対する懸念」の前に挿入することを交渉によって認めさせたと筆者は推測します。条文通りに読めば、例えばマレーシアがイランの核開発については米国の懸念を共有していないと主張すれば、米国のイランへの貿易制裁に同調する必要はなくなります。

ただ、これはあくまで条文上の話であり、米国市場への低関税アクセス権を米国側に握られているという力関係を考えれば、実際にこうした議論を展開することは難しいでしょう。実際、この米馬貿易協定には「いずれの当事国も、他方当事国宛に書面による通知をもってこの協定を解除できる。解除は通知の日から180日後に効力を生ずる」とする解除条項が付されています。

マレーシア政府はこの条項を「嫌ならばマレーシア側はいつでも抜けられる」として批判に反論していますが、その場合、条文で約束されたパーム油などへの関税免除の権利が無効になるため、実際にマレーシア側からこの協定を破棄することはコストが高すぎるため考えられません。

マレーシア側は交渉の過程で、条文に「共有された」懸念という限定的な単語を認めさせたものの、実際の力関係、あるいはトランプ政権の外交姿勢を考慮すると、こうした外交文書上の巧妙な工夫が意味を持つ可能性は低いと考えられます。

 

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp

【総点検・マレーシア経済】第534回 米マレーシア貿易協定解説(1)

第534回:米マレーシア貿易協定解説(1)

 

10月26日、ASEAN首脳会議に合わせてマレーシアを訪問したトランプ大統領とアンワル首相の間で「米国・マレーシア相互貿易協定(Agreement between the United States of America and Malaysia on Reciprocal Trade)」が締結されました。この協定には、マレーシア側が米国に対して行った関税・非関税障壁に関する譲歩だけでなく、マレーシア側が米国から得た関税面での譲歩も含まれているため、形式的にはFTAとみなせるものです。

 

実質的にはマレーシア側の片務的な譲歩という性格が強いにもかかわらず、この貿易協定はなぜ「相互(Reciprocal)」を称し、FTAの形式を取っているのでしょうか。筆者は、もしマレーシアが米国に対して行った譲歩がFTAによるものでない場合、WTOの最恵国待遇(MFN)原則により、他のすべてのWTO加盟国に米国と同じ好待遇を与えなければならなくなるためであると見ています。

 

FTAはWTOのMFN原則の例外とされるため、FTA内で行った譲歩をFTA相手国に限ることが許されます。したがって、今回の米国に対するマレーシア側の譲歩について他国はWTOのMFN原則を唱えて同様の待遇を求めることができません。米国はマレーシア側が行った譲歩を独占できることになります。

 

この協定においてマレーシアは米国に対して多くの譲歩を行っています。化学製品、機械・電気機器、金属、乗用車、乳製品、園芸製品、鶏肉、豚肉、米、燃料エタノールなど広範な品目で関税の引き下げ・撤廃を行っています。即時撤廃品目のほか、5年・9年かけて段階的に撤廃される品目もあります。また、豚肉、牛乳・クリーム、鶏肉などに対して無税輸入枠が設定されています。

 

あまりニュースになっていませんが、注目されるのは米国製自動車について排気量に関わらず物品税(excise duty)の最低税率を適用することになっている点です。例えば、Jeep Grand Cherokeeをマレーシアに輸入した場合の物品税は通常125%となりますが、この協定により同カテゴリー内の最低税率である80%が適用されることになります。さらに通常はAPによって制限されている輸入車の台数上限からも米国車は除外されること、米国の安全基準・排出基準を満たした自動車をマレーシアがそのまま受け入れることになっています。

 

米国の自動車メーカーでマレーシアにおいて2024年に最も売れたのはフォードの6232台(シェア0.8%)であり、マレーシアの自動車市場に大きな影響を及ぼすとは考えにくいものの(あるいは考えにくいため)、自動車分野においてマレーシアはほとんど全面的に米国へ譲歩したと言えます。

 

熊谷 聡(くまがい さとる) Malaysian Institute of Economic Research客員研究員/日本貿易振興機構・アジア経済研究所主任調査研究員。専門はマレーシア経済/国際経済学。 【この記事のお問い合わせは】E-mail:satoru_kumagai★ide.go.jp(★を@に変更ください) アジア経済研究所 URL: http://www.ide.go.jp